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退 屈 な 人 へ 第23回定期演奏会より 2001.1.13
いよいよ21世紀の幕開けだ。といっても私にとっては昨年と今年の違いは、さほど感じることはない。しかし、大きな節目であることには違いない。
年末にクラシック音楽界の歴史をテレビで放映していた。珍しく仲間と杯を交わしながら興味深く見入ってしまった。
音楽評論家の吉田秀和から骨董品だと酷評されたピアノのホロビッツ。(実はその時ホロビッツのテレビ中継があると聞き、初めてベータのビデオを神頼みして買ってもらった。確かにホロビッツは録画したが、そのビデオの活用は多岐に及んだであろうことは想像に難しくない。)
尊敬するカラヤンの華麗で的確な指揮ぶりや、ベームの無骨な棒は、改めて見ても対照的だった。また、今まで見たこともないリヒャルト・シュトラウス自身の棒によるティルや、バイオリンを弾きながら指揮をするボスコフスキーも興味を引いた。
結果的に日本の音楽界をリードすることとなった、斉藤秀夫率いる桐朋のオケも見ることができた。日本交響楽団で斉藤秀夫がチェロを弾きながら徹底的に分析し、系統立て、指揮法のモデルとなったローゼンストックの映像は彼の指揮振りを思わせた。
私も勉強したことのある斉藤秀夫の指揮法教程は、小沢征爾や彼の仲間たちによって世界中の音楽家に影響を与え続けている。
カラヤンとバトルを繰り広げた重戦車を思わせるチェリビダッケは、私の想像を上回る名演奏で迫り、長い指揮棒を操るアルトュール・ニキシュは時代を越えて新鮮だった。
チェロのパブロ・カザルスもすごかった。世界平和・人類への愛、そして人間性の尊重を訴えかけたカタルーニャの民謡「鳥の歌」は、私の心を深く打った。
中でも印象に強く残ったのは私の尊敬してやまないレニーこと、レナード・バーンスタインである。札幌音楽祭で、若人を指揮している姿から、音楽がほとばしっている。モーツアルトの再来を思わせるほどに神がかった彼に、しばし言葉を失った。
「ついてきなさい、わたしのとおり」の指示は、人間の域を超えているように思えた。音楽そのものがバーンスタインの体に宿っている。何の見返りも期待しないでひたすら音楽と、若人の育成に打ち込む真摯な彼の姿は、まさに神懸かり的といわざるを得ない。
30才そこそこの小沢率いる日フィルのベルリオーズはマエストロ小沢にもこんな時期があったのか、とある意味で共感を覚えた。
他にも、これまで見たことのない多くの映像が新鮮に映った。
ついでに私自身の20世紀を振り返ってみた。しかし、残念なことに昨日のことも忘れてしまう極度の痴呆症候群のため、昔のことを思い出すのは困難極まる。そこで、昨年の1年間を振り返ってみることにした。
1月10日、名電高等学校吹奏楽部第35回定期演奏会昼・夜の2回公演。体力と気力の勝負で、かなりきつい。朝6時には学校に着いて準備と練習に追われ、本番を終えて学校を出るのは夜の10時頃。正直、性根尽き果てている。
12日夜、指揮法のレッスン。
21日出張で安城。
25日午後、県の理事会。夜、指揮法。
26日午後、芸文でステージドリルの打ち合わせ。夜、新年会。
30日アンコンの県大会。本校は3チーム出場したが全敗。
2月6日芸文大ホールで本校ステージドリルの本番。
9日夜、指揮法・・・・・きりがない。忙しいことが言いたいのではなく紙面が埋まらない。しかし、この調子では・・・
そこで私にとって、一生忘れることのできないであろうコンサートの裏話を。
2月20日、名フィル・選抜オーケストラ・安城学園とのトヨタハーモニーコンサートでのこと。
学生以来といってもいいぐらい久しぶりに本気で楽器の練習をした。定期演奏会を最後に3年生が抜けたこの時期に1・2年だけで、国内でも有数のホールで演奏をするには力不足が否めない。そこで、サックスとバンドのための曲で難を逃れようとの魂胆だ。
計画の段階から、本番では私自身が相当緊張するであろうことは予想していたが、それを遙かに越える緊張が容赦なく襲いかかってきた。並み居るプロの前で、己の非力をいやと言うほど見せつけられた。
本番直前に、それはピークに達した。顔はこわばり、用もないのに何度もトイレに通うはめに。訳もなくウロウロ歩き回り、見かねた生徒から何度も励まされた。その思いやりが感謝に堪えなかった。
それでも緊張は高まるばかりで、立っていることさえままならない。時間の経過とともにステージに追いやられ、客席に向かってお辞儀をする。顔では平静を装い笑顔を見せようとするが、顔の筋肉がうまくコントロールできない。歯を見せれば笑顔に見えるか、と挑戦するも、その術すら忘れてしまう始末である。
幸い楽器を吹くために、いつもの指揮棒は持っていない。これでは手の震えは皆にはわかるまい、とほんの少しほくそ笑んだ。
前奏が始まり、演奏開始までのカウントを始める。出だしを間違えてしまったらコンサートそのものも台無しとなってしまう。応援していただいているみなさんに申し訳ない、なんて考え始めたら、手の震えが足にまで広がってきた。
気づかれないように右足に重心を移したり、左や両足に均等になるように体重の移動を試みるが、失敗に終わる。
サックスのソロが始まると静寂はさらに広がり、1800人の眼差しに、心の中での葛藤が始まった。
「頑張れ、これしきの緊張でうろたえるな」
「ああ、もうダメだ。私の力では演奏できない」と。
それでも何とか事なきを得「サクソフォーンとバンドのためのナポリ民謡」を終えることができた。演奏が終わったとき、私以上にホッとした顔の生徒が、印象的だった。
ミレニアムは実に多くの出会いをもたらしてくれていた。これを機に時代の節目に感謝し、みなさんの幸せを願うものである。
そして、この春日井ウインドオーケストラが末永く、皆様に支えていただけることを祈って。
桐田正章 |